先日、家の風呂のリモコンが壊れた。
お湯をわかそうとしてもリモコンが使えないので、自分で水を入れて、追い焚き機能を使ってお湯を沸かした。
リモコンのタイマーが使えないので自分で時間を計って、湯加減をみた。
「そういえば子どもの頃は、こうやっていたなぁ」と思った。
子どもの頃、風呂を沸かすのは私のお手伝いの一つだった。
手順は次の1)から6)だった。
1)湯船を洗う
2)栓をする。
3)水を入れる。
4)水が溜まった頃水を止める。湯の量が不十分だったら継続する。
5)風呂釜の日をつける
6)湯をかきまぜて湯の温度をみて熱かったら止める。まだだったら継続する。
3)から4)の時間や、5)から6)の時間が重要だった。
下手にテレビを見始めるとコマーシャルの時に見に行くと、水があふれていたりお湯が熱くなりすぎたりしていた。
逆に早すぎると何度も見に行くことになり、気になって漫画を読んでいてもどこか集中できなかった。
今だとタイマーがついているので、水量と温度を設定してスイッチ入れれば自動的にその通りになる。
忘れても保温してくれている。
風呂の水や湯の温度を見に行かなければいけないというプレッシャーから解放されている。
たかが風呂の湯量と温度だが、「忘れることができる」というのは大きい。
「現代社会は便利になったものだ」と改めて思い直した。
少子化の原因の一つが晩婚化だったり、一生独身で過ごす人が増えた、と聞いた。
晩婚化や非婚化は、「この便利になった社会が原因ではないか」と思った。
不便な時代には一人暮らしをするのは大変だった。
今の風呂の例もそうだが、仕事をして帰ってきてから食事を作るのもコンビニが少なかったから面倒だ。
電子レンジもそんなに普及していなかったから面倒だったのだ。
洗濯も乾燥機やコインランドリーが高価だったり数が少なかったから自分でやるのは面倒だった。
一人暮らししていくのは面倒だから、食事を作ってくれたり共同風呂がある独身寮があったし、そこに入る人も多かったのだ。便利になった今では独身寮など死語に近いだろう。
産業革命前のヒトの一生のイメージをグラフにすると下のような感じになる。個人差があるので、これはあくまでイメージである。
横軸は年齢だ。
縦軸は生きていく際のエネルギーだ。これはとても大雑把なもので、身体・健康的エネルギー+精神的エネルギー+経済的エネルギーの総計と思ってほしい。
黒い点線は一人暮らしをするのに必要なエネルギーで、オレンジの線は結婚した時に必要なエネルギーだ。
産業革命前は一人暮らしするのに必要なエネルギーが200と高く、それを超えるのは25歳代から50歳代になる。
一方、結婚した時のエネルギーは150で、結婚した方が20歳代から60歳まで、ラクに生きることが出来る。
こうなるのを肌感覚で感じているため、多くの人が早く結婚したのだと思う。
結婚して二人で分業すれば一人で全てをこなすより面倒ではない。
いろいろと面倒だったから「早く一人暮らしをやめて結婚したい」と思う人が多かったのだと思う。
熱い恋愛感情がなくても、共同生活できそうだ、と思うだけでも、結婚した方が一人暮らしよりラクな生活ができたから、結婚したのだ。
今は便利になったので、それほど面倒なく、一人暮らしができてしまう。
だから、結婚の優先順位が下がってしまったのだ。
結婚の価値が相対的に下がってしまったのだ。
あるいは逆に結婚のハードルが上がってしまったのかもしれない。
ラクな一人暮らしをしているうちに、年齢を重ねると結婚市場での価値が下がり、結婚できない人も出てきたのだ。
一人暮らしに必要なエネルギーが200から100に下がり、結婚した時のエネルギーも150から70程度に下がったようなものだ。
20歳代から60歳代まで一人暮らしをしても問題ない状況になったのだ。
そうなるとわざわざ結婚しなくてもいい、と思う人が出てくる。
男女とも、結婚適齢期の頃は、この便利な社会で一人暮らしができる。
だが、人は年老いていく。病気もする。そんな時は、この便利な社会でもやはり一人で生きるのは大変なのだ。
上のイメージで65歳代以後は一人暮らしが辛くなってくる人が出てくる。
便利な社会ではあるが、将来のために、結婚適齢期の頃は結婚することを最優先にした方がいいと私は思う。