haruichibanのおと(日々思ったことなど)

気の向くままに、ウォーゲームや本や映画やテレビ以外のことを、書き残しておこうというブログです。

心に残って離れない=人は皆いずれ障害者

 

SNSのタイムラインにちらっと出てきてす~っと下に通り抜けてしまったが、内容が頭に残って離れないことがある。

 

「障害者は特別ではない。誰もがいつかなること。」という主旨だった。

 

確かに「健康」な人も明日事故で四肢を失うかもしれないし、明後日脳梗塞で半身麻痺になるかもしれない。年をとればやがて歩くのもままならなくなったり、耳が遠くなったり、目が見えなくなったりする。

 

出典が見つからないが、真理をついているなぁ、と思い心に残ってずっと離れない。

 

 

 

日本の成長率がトップ!生産年齢人口に注目した統計結果

ウォールストリートジャーナルにこんな記事が出ていた。

 

「日本の一人当たり生産性が低い」とか「日本の一人当たりのGDPが低い」とよく言われるが、「それは高齢化のせいじゃない?日本の若者だって頑張ってるはず!!」と思っていた。

しかし、生産年齢人口1人当たりの生産性やGDPの統計を見たたことがなかった。

 

この記事では生産年齢人口1人当たりのGDPを指標にしており、それだと日本が1位になるそうだ。

 

国全体の統計も無論大事だが、生産年齢人口1人当たりで見ないといけない観点もあるはずだ。

 

この統計が正確ならばだが、日本の若者たちもよく頑張っているのだ!胸を張っていいぞ!!

 

 

『日本の経済成長率はG7トップ、この指標なら

総人口の代わりに生産年齢に注目すると、日本は先進7カ国の下位から1位に浮上する』

 

jp.wsj.com

 

mainichi.jp

ラリアット考

プロレスの必殺技の一つにラリアットがある。

スタン・ハンセンが最初に使い始めた技だ。

相手をロープに降り腕を出して相手の首に当てて倒す技だ。

ハンセンはフィニッシュ技に使っていたので一試合に一回出すだけだった。

その後多くの選手が真似するようになった。

最近はラリアットを受ける選手が一回転して受け身をとるので威力があるかのように見える上、見栄えがいいので試合中に多用されている。最初に見たときは回転する側の勇気に驚いた!

だが、ハンセンほどの威力がなく、相手に与えるダメージが小さくなり今では試合の途中に出す見せ技になってしまった。

 

ハンセンのラリアットと最近のラリアットは何が変わったか考えてみた。

 

ラリアットを仕掛けたところを上から見た簡単な図を描いてみた。

最近のラリアットは肘から手首の前腕部分を相手に当てている。

またラリアットを仕掛ける側の腕とと受ける側の頭部が作る角度は直角になっている。f:id:Haruichiban0707:20240123134006j:image

こうなると仕掛ける側の腕には梃子の原理が働き、肘や肩への負担は大きくなる。

上腕の重さと受け側の身体の重さを比較すると、上腕の方が軽いから、まともにぶつかるとか上腕は吹き飛ばされる。実際、ラリアット後後ろに腕を弾かれている選手もいる。

ジャンボ鶴田はよく肘を押さえて痛がっていたが、上腕でラリアットを仕掛ける限り、重さで負けるのは当たり前で肘を壊す危険性がある。

そのためラリアットのパワーが観客に伝わってこない。

 

受ける側は、相手と身体が離れているので、ラリアットが当たった瞬間後方に回転して受け身をとりやすいだろう。

 

派手に一回転するからラリアットに威力があったかのように見える。

だが、腰の辺りで固定されていない人間の身体はいくら強く首を横に殴られても回転することはない。ただ、後ろに真っ直ぐ倒れるだけだ。

派手な一回転は受け手がうまくラリアットのパワーをいなして受け身をとっているのだ。

それは受け身の技術であって、ラリアットの威力ではない。

この受け身の技術はなかなか難しいもので、私は見る度に「すごいなぁ~」と思う。

バク転みたいなものだから私には絶対にできない。バク転できてもあの受け身をする勇気はない。

 

往年のハンセンのラリアットは何が凄かったかハンセンのラリアットするシーンをいろいろ見てみた。

彼は相手と当たっても腕が後方に弾かれることはなかった。むしろ逆に前に振り切っていた。小橋もそうだ。

彼らの腕の鍛え方が他の選手と違うのか?

だが、腕と身体では重さが全く違うから、いくら鍛えても腕で身体に勝てるはずがない。

 

ハンセンのラリアットをよく見てみると、彼のラリアットは肩から肘の間で当たっている。

また身体と相手がなす角度は鋭角だ。ぶつかる時には左肩が前に出ているのだ。

オカダカズチカがレインメーカーを仕掛けるときは右足を大きく前に出して右肩を前にして右腕を当てているので肩と相手の角度は、左右は逆だがこの図のように鋭角になっている。

ただ、オカダの場合右足が前に出過ぎている。ハンセンは前傾姿勢で左足が出過ぎてなくてカッコいい。

f:id:Haruichiban0707:20240123134026j:image

 

時には身体で当たって、後から腕を振り抜いている。これなどタックルの後腕を振っているようなものだ。
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だから腕が弾かれることはない。逆に振り抜きやすい。だからラリアットに威力があるように見える。

一方で、ラリアットを仕掛けた側と受ける側の距離が近くて身体がぶつかりやすいから、回転する受け身はやりにくいだろう。

 

全てのものごとは変化してゆくものだから、ラリアットという技やその受け身も変化してゆくものだ。

「昔はよかった。今はけしからん!」と言うわけではない。

昔のハンセンや小橋のフィニッシュに使うラリアットの威力は「すご~い!」と思うし、今のラリアットを受けて一回転する受け身も「すげ~」と思う。

 

ラリアットは単純な技だけに、これからも色々なバリエーションでプロレスファンを楽しませてくれると思う。

 

平安時代の妻問婚への疑問

昔、古典の授業で、「平安時代は妻問婚だった。男は複数の妻と結婚していた。恋愛の最初は垣間見から始まる。そして歌を贈り、返歌がなければ振られた。返歌があれば、進展する。」のように習った。

 

これを聞いた時、「女の側なら嫌だなぁ」と思った。「現代でいう覗きとストーカーじゃん。誰か知らない人が庭の向こうからこっちを覗いていたり、知らない人から歌が届いたりしたら恐い。姉や妹や娘がいたら、とても恐くてかわいい身内がどこの誰に惚れられるのかと思うと可哀相しいたたまれない。本当にそんな風に恋愛していたのかなぁ?ありえないだろう。」と思っていた。

古典の先生に質問しても、「昔はそうだったんだ。」しか言わない。

 

「男の方も面倒だなぁ。歌を作って贈らなければいけないなんて。普通にプレゼントでよくないか?」と思った。

「男はいつまで親と同居していたのか?女の親は娘と同居していたようだから、男も結婚後、どこかのタイミングで正室と一緒に住んだのではないのか?お気に入りの女のところに住みながら別な女のところに通ったのか?」と疑問だらけだった。

 

ここからは想像になる。

通常、女性の住む所は防備を固めており、侵入者がないか見回りの者が厳重にチェックしている。

しかし、垣間見や歌を贈り合う前に、親兄弟や家来による根回しがあったのだろう。

根回しの上、「○○日の○○の刻、○○に来てください。見回りの者に○○と合い言葉を言ったら、垣間見しやすい所に通します。その時に歌を見回りの者に渡してくだされば女性のもとに届けます。」というような話ができてから、垣間見していたのだと思う。

 

夜這いの風習も実際には事前の同意があった上だったと聞いたことがある。

 

結婚後、女性と同居するか、親元から通うかは、男の気持ち次第だったのではないか?

実家が居心地よければ実家だろうし、女性の所が居心地よければ女性の所だったのではないか。

子どもが産まれたら一緒に住むことが多かったのではないだろうか

 

今年の大河ドラマ『光る君へ』が平安時代の貴族の話なので、そんな所も注目して見てみたい。

 

 

 

 

民主主義国家なら投票で多数決にすべきでは? 伝統行事問題

https://twitter.com/MinGoshTek4/status/1746483404005396689

 

一部の人からの要請で伝統行事がなくなったようです。

一部の意見でなくすのはいかがなものだろうか?

意見を言った人がクレーマーなのか、少数派なのか、それとも多数派なのかは私にはわからない。

しかし、日本は民主主義国家なのだから、いっそ、投票で多数決にするべきではないだろうか?

かつてなら一々投票するのは面倒だったが、今ならIT駆使してこういうことにも簡単に民意を反映させることができると思う。

直接民主制は昔は本当に夢物語だったが、今のITを使えば、直接民主制も夢ではなくなると思う。

 

 

 

年頭のご挨拶 ~令和6年能登半島地震と羽田空港衝突事故について~

謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 

この度の能登半島地震により被災された皆様、ならびにその関係の皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の皆様の安全と一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

 

2024年1月は、令和6年能登半島地震に、羽田空港日本航空機と海上保安庁機の衝突事故で明けるという驚きの年明けでした。

 

私は当事者ではなく、テレビやネットを見ているだけだが、今回思ったことを書いておく。

 

【1】能登半島地震

1)「今は能登半島に来ないでください」「個人による物品を持ってくる支援はしないでください」という主旨のメッセージをよく見る。

が、こういう災害時に、道路封鎖して許可車両のみ通行させることはできないのだろうか?

能登半島からかなり離れた所から封鎖して、緊急車両や自衛隊関係車両や許可された報道関係車両のみ通したらいいのではないかと思うのだが・・・。

 

2)「船なら物資を運べるのになぜしない」という主旨のメッセージを見たが、船は港でないところに接岸できないし、地震による地形変動で、海底が隆起していて浅くなっている場所もあるだろうから、座礁の危険性があって難しいだろう。

 

3)「台湾からの支援を断ったのは~~!」と怒っている人達がいるそうだが、現地の状況を考えると今は渋滞がひどくなるだけだろうから、台湾始め諸外国の気持ちはありがたいが断るのも致し方ないだろう。

 

4)「ホワイトボードを使っている~」と噛みついた人がいるそうだが、こういう時は電源不要で一覧性があるので、ホワイトボードが一番いいです。

 

5)鳩山由紀夫元首相が誤情報を拡散したのに対し息子の鳩山紀一郎が撤回を要請したそうだ。

鳩山由紀夫元首相らしいとはいえ、やめてほしいものだ。

 

6)元日に発生した地震だが、いろいろな初動は早かったように思う。

関係者の皆さんの尽力を応援します。

 

【2】日航機と海保機の衝突事故

1)乗客乗員全員が助かった、というニュースを聞いた時は、驚きとともに、日航機乗務員の人達と乗客全員に、うちの家族はテレビの前でみんなで声をあげて拍手した!!これは本当に凄いと思う!!

事故現場で亡くなった人がいないだけで火傷や治療を要する人がいるとは思うが、18分間で全員脱出できたのは奇跡だ!

BBCが絶賛していたが、日本のメディアは100点満点中の99点でも1点のミスを追及するが、今回の乗客乗員全員救出については、私は本当に凄いと思う!!

 

2)海保機の乗員で亡くなった方々については、一刻も早く能登半島支援に飛ぼうとしていただけに本当に残念です。お悔やみ申し上げます。

 

3)2例の亡くなったペットについては、残念です。

残念ではあるが、この場合、人命優先だろう。連続殺人鬼と盲導犬ならば、人より犬を私なら優先するが、一般乗客とペットなら人命優先であることは間違いない。

一部の芸能人などが「ペットを客席に乗せる」とか、ペットを客席に乗せるための署名募集している人がいるようだが、現在の技術では、人を救うのがせいぜいで、ペットの命までは救えない。

ペットを客席に乗せたい人は、そのための何かすごい道具を発明するか、カネを集めてペットも客席に乗車可能な航空会社を立ち上げてJALANAと競争するか、チャーター機を使うかしてほしい。不便と思うことはビジネスチャンスなのだから、ぜひビジネスにしてほしい。

 

この2例のペットの飼い主の人達がどう思っているかわからないが、自分達の思いとは別な方向に話が向かって戸惑っているのではないか、と勝手ながら私は想像する。

当事者ではない人が入ってきて、運動の方向性が変わった事例は、米騒動成田闘争など枚挙に暇がないが、このペットの件もそうなっている気がする。

 

4)1月4日の朝日新聞朝刊14版の見出しは『海保機進入 許可なし 国交省 交信記録から見解』読売新聞13Sの見出しにも『海保機 進入許可なし 交信記録 機長認識と違い』とある。まだ調査の初期段階でこういう情報を国交省から出すのはダメだと思う。

原因究明に向けてバイアスが働くと思うし、海保機機長の責任という印象を強めてしまう。

国交省はなぜこのタイミングでこんなことを公表したのだろうか?

現段階では、マスコミに対しても「調査中です!」でいいと思う。

 

5)私が無知だっただけなのだが、同じ滑走路で離陸と着陸を行うとは思わなかった。

アメリカ軍の航空母艦は離発着を別にするために、艦首と平行の滑走路を離陸用、艦首と斜めの滑走路を着陸用に持っているから、陸上の滑走路も離陸専用と着陸専用に分けているとばかり思っていた。

あの羽田の混雑状況で、離発着を同じ滑走路でやっていて、よくこれまで事故が起こらなかった、と感心した。

道路のように「信号機をつけたらいいのでは?」と思ったが、翼にぶつかりそうで危険だからダメか。

では、滑走路にLEDを埋め込み、緑色の矢印が出たら「前進していい」、赤い停止線だったら「止まれ」としたらどうだろうか?

雪が降ると見えなくなるからダメか。鳥とか虫を呼んでしまってダメかもしれない。

それにLEDの交換やメンテナンスのために滑走路での離発着を止める時間帯が出て24時間運航ができなくなるのか。

管制塔の指示と滑走路上の指示に相違があったらどっちを優先するかなど決めないといけないから難しいか。

事故の原因が調査中なので再発防止策を考える段階ではないと思うが、早期の正確な原因究明と再発防止策の策定が望まれる。

 

 

 

一人暮らしのラクさが結婚の優先順位を下げる?

先日、家の風呂のリモコンが壊れた。
お湯をわかそうとしてもリモコンが使えないので、自分で水を入れて、追い焚き機能を使ってお湯を沸かした。
リモコンのタイマーが使えないので自分で時間を計って、湯加減をみた。

 

「そういえば子どもの頃は、こうやっていたなぁ」と思った。

 

子どもの頃、風呂を沸かすのは私のお手伝いの一つだった。
手順は次の1)から6)だった。

1)湯船を洗う
2)栓をする。
3)水を入れる。
4)水が溜まった頃水を止める。湯の量が不十分だったら継続する。
5)風呂釜の日をつける
6)湯をかきまぜて湯の温度をみて熱かったら止める。まだだったら継続する。

3)から4)の時間や、5)から6)の時間が重要だった。
下手にテレビを見始めるとコマーシャルの時に見に行くと、水があふれていたりお湯が熱くなりすぎたりしていた。
逆に早すぎると何度も見に行くことになり、気になって漫画を読んでいてもどこか集中できなかった。

今だとタイマーがついているので、水量と温度を設定してスイッチ入れれば自動的にその通りになる。
忘れても保温してくれている。
風呂の水や湯の温度を見に行かなければいけないというプレッシャーから解放されている。

たかが風呂の湯量と温度だが、「忘れることができる」というのは大きい。

 

現代社会は便利になったものだ」と改めて思い直した。

 

少子化の原因の一つが晩婚化だったり、一生独身で過ごす人が増えた、と聞いた。
晩婚化や非婚化は、「この便利になった社会が原因ではないか」と思った。

 

不便な時代には一人暮らしをするのは大変だった。

今の風呂の例もそうだが、仕事をして帰ってきてから食事を作るのもコンビニが少なかったから面倒だ。
電子レンジもそんなに普及していなかったから面倒だったのだ。

洗濯も乾燥機やコインランドリーが高価だったり数が少なかったから自分でやるのは面倒だった。

一人暮らししていくのは面倒だから、食事を作ってくれたり共同風呂がある独身寮があったし、そこに入る人も多かったのだ。便利になった今では独身寮など死語に近いだろう。

 

産業革命前のヒトの一生のイメージをグラフにすると下のような感じになる。個人差があるので、これはあくまでイメージである。

横軸は年齢だ。

縦軸は生きていく際のエネルギーだ。これはとても大雑把なもので、身体・健康的エネルギー+精神的エネルギー+経済的エネルギーの総計と思ってほしい。

 

黒い点線は一人暮らしをするのに必要なエネルギーで、オレンジの線は結婚した時に必要なエネルギーだ。

産業革命前は一人暮らしするのに必要なエネルギーが200と高く、それを超えるのは25歳代から50歳代になる。

一方、結婚した時のエネルギーは150で、結婚した方が20歳代から60歳まで、ラクに生きることが出来る。

こうなるのを肌感覚で感じているため、多くの人が早く結婚したのだと思う。

産業革命前のヒトの一生のイメージ

産業革命前のヒトの一生のイメージ


結婚して二人で分業すれば一人で全てをこなすより面倒ではない。
いろいろと面倒だったから「早く一人暮らしをやめて結婚したい」と思う人が多かったのだと思う。
熱い恋愛感情がなくても、共同生活できそうだ、と思うだけでも、結婚した方が一人暮らしよりラクな生活ができたから、結婚したのだ。

 

今は便利になったので、それほど面倒なく、一人暮らしができてしまう。
だから、結婚の優先順位が下がってしまったのだ。
結婚の価値が相対的に下がってしまったのだ。

あるいは逆に結婚のハードルが上がってしまったのかもしれない。

ラクな一人暮らしをしているうちに、年齢を重ねると結婚市場での価値が下がり、結婚できない人も出てきたのだ。

 

一人暮らしに必要なエネルギーが200から100に下がり、結婚した時のエネルギーも150から70程度に下がったようなものだ。

 

20歳代から60歳代まで一人暮らしをしても問題ない状況になったのだ。

そうなるとわざわざ結婚しなくてもいい、と思う人が出てくる。

 

最近のヒトの一生とエネルギー

最近のヒトの一生とエネルギーのイメージ

 

男女とも、結婚適齢期の頃は、この便利な社会で一人暮らしができる。
だが、人は年老いていく。病気もする。そんな時は、この便利な社会でもやはり一人で生きるのは大変なのだ。

 

上のイメージで65歳代以後は一人暮らしが辛くなってくる人が出てくる。


便利な社会ではあるが、将来のために、結婚適齢期の頃は結婚することを最優先にした方がいいと私は思う。